2015年御翼3月号その4

 

浪費と放縦の罪にまみれて―「光の画家」レンブラントの光と影

 

 レンブラントは、油絵や版画などで聖書物語を数多く描いている。彼は1634年、資産家の娘で美貌のサスキヤと結婚するが、レンブラントの濫費に憤慨した妻の親族より訴えられ、敗訴となり、妻の持参金の自由使用が禁止された。しかし、妻は彼を愛していたので、自分が死んでも再婚しないという条件でレンブラントを遺産の相続人とする遺言を残す。この妻は一才に満たない子を遺して、三十才の若さで死亡した。十年間の短い結婚生活であった。レンブラントは、乳母として四十代の未亡人を雇うが、妻を失った寂しさからこの乳母と、愛情の伴わない性的関係に陥る。レンブラントと関係を持つようになると、乳母は厚かましく気ままになり、レンブラントを困らせた。そのためか彼は、二十三歳の女中とも関係を持ち、同じ屋根の下、二人の女が一人の男をめぐって騒ぎが絶えないようになる。乳母は去り、養老金のことでレンブラントを訴え、彼との関係を暴露した。そのため、レンブラントは評判を落とし、絵の注文も減り、弟子も去っていく。公判中、乳母は発狂し入院したので、訴訟は一応けりがつく。1654年、女中との間に子が生まれると、改革派の教会はレンブラントと彼女との関係を姦淫とみなし、陪餐停止(聖餐式を受けさせない)を決議した。再婚しないとの条件で亡妻の遺産を受け継いでいたからである。
 レンブラントは、社会的に排斥された。更に、長年の濫費による多額の借財を返すため、家や美術収集品など全財産を売り払うが、返しきれず破産宣告する。彼はたくさん稼ぎ、たくさん使い、たくさん失った。この時期の彼の作品には、聖書を人間性との関わりにおいて捉えた深さがある。レンブラントは生涯で、何度か放蕩息子をテーマにした絵を描き、描くたびにその絵は、息子を迎える父親の姿が深みを増していったと言われている。亡くなる前年の一六六八年に描いた「放蕩息子の帰郷」には、罪で泥まみれになった者に対する、限りなく深い神の愛がにじみ出ている。画家としての成功と名声と富を手にした時代は短期で終わり、その後多くの苦難、災難、不幸が彼を襲う。これら不幸な出来事の大半は、彼の自己中心的な生き方が招いたものであった。しかし、「放蕩息子の帰郷」の絵の中には、レンブラントがその人生において最終的に獲得したもの、与えられたもの、彼に残された本当に価値のあるもの全てが見事に描かれたのだった。
 社会的には排斥されたレンブラントは、聖霊の働きでキリストによる罪の赦しを確信し、神の愛を作品の中に積極的に表した。「お前には価値がない」と思わせようとするのがサタンである。しかし、悔い改めた者には、神は尚、神の愛を表す使命を与えておられる。その確信を持つために、日々の個人礼拝(デボーション)は不可欠なのだ。

 ウェイン・コデイロ『あなたを導く神様の個人レッスン』付録:よくある質問(FAQ)より
 毎日デボーションをすることはなぜそんなに大切なんですか?
 教会の人たちが平日の間は貧弱な食物をひとかじりするだけで、満足な食事は日曜日にしか取らなかったとしたらどうでしょう。教会は栄養失調でやせこけた人たちの集まりになってしまいます。悪魔の攻撃に対抗することが彼らにできるでしょうか。教会に来る人たちの霊的な食事状況を見てみると、たまにデボーション向けの本をちらっと眺めるような簡単なおやつと、日曜日に普通の食事が一回で、ようやく意識を保っているような状況です。
 結婚生活が一夜にしてだめになったり、クリスチャンのリーダーが突然誘惑に屈してしまったりするのはなぜだか考えたことがありますか?結婚生活がいきなり壊れることはないし、唐突にキリストから離れる人もいません。そういう意味では、一日や二日食事を抜いたくらいで死ぬことがないのと同じです。その過程は、むしろゆっくりとした下降線をたどります。他の人から見てもわからない程度に少しずつ霊的な飢餓状態が進行していくのです。クリスチャンの霊的栄養不良は、食物を取らないでいる間に少しずつ進みます。そして弱まってきた時に周りの人を仰天させるようなとんでもないことをしでかして、彼らの霊的生活がどんな状況にあるのかが明らかになるのです。集まる人たちがみな週に一度しか食事をしなければ、教会はいつまでも弱く、問題を抱えたままでしょう。しかし毎日新鮮なパンを食べることでその状況は変わります。そのように毎日いのちのパンを食べていれば、いつでも準備の整った強靭な軍隊ができあがります。そして、世界を変えていくことができるのはこのような力だけなのです。

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